日常の雑学

フルマラソンの距離の由来!42.195kmになった意外な理由とは

投稿日:2018年3月5日 更新日:

私の友人に、ランニングが趣味で全国各地のマラソン大会に参加している人がいます。

先日、その人と久しぶりに会ったときにこんな会話をしました。

 

 

私は1kmだって走れるか分からないからなぁ(笑)ところで、フルマラソンってどうして42.195kmなの?すごく半端な距離だよね
友人
確かに言われてみれば...マラソンは好きだけど、そんなこと考えたこともなかったよ^^;

 

皆さんご存知の通り、フルマラソンの距離は 42.195km ですが、なぜそう決まったのか。疑問に思いその場ですぐに調べてみたところ、意外な由来が見つかりました!

 

本日は、調べた結果をシェアしたいと思います!

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フルマラソンの距離の由来

まず初めに結論を言いますと、フルマラソンの距離が 42.195km なのは

  • イギリス王妃のわがまま

が由来だとされています。

 

えっ?わがまま!?と思ってしまいますよね笑

ただし、わがままと言っても、イギリス王妃が「私は 42.195km 以外は許しませんわ」と言ったわけではありませんよ^^;これにはちょっと面白いエピソードがありますのでご紹介しますね〜

 

イギリス王妃のわがままとは

フルマラソンの距離は、最初から42.195kmと決まっていたわけではなく、大会ごとに異なっていたんです。

その理由は、何km走るかということよりも、皆が同じ距離を走ることの方が重要だったからだそう。

 

実際に、過去のオリンピックを見てみると、このように距離はバラバラです。

回次開催地距離
第1回(1896年)アテネ36.75km
第2回(1900年)パリ40.26km
第3回(1904年)セントルイス40km

 

で、初めて42.195kmが採用されたのは、1908年の第4回ロンドンオリンピックの時です。

ただ、この時も最初から 42.195kmだったわけではありません。当初は、国王の住むウィンザー城からシェファードブッシュ競技場までの41.843kmでした。

では、なぜ42.195kmに変更されてしまったのか。それは、当時の王妃「アレクサンドラ」が次のように言ったからです。

 

アレクサンドラ
選手が走り出す瞬間は部屋の中から見たいから、スタート地点はお城の庭にしてちょうだい。それからゴールの瞬間は目の前で見たいから、ゴール地点は競技場のブロック席の前でお願いね。

 

というわけで、スタート地点を

  • お城の前 → お城の中庭

に変更。

そして、ゴール地点を

  • 競技場の入り口付近 → 王妃の席の前

に変更したわけです。

 

こうしてコースを微妙に延長したところ、たまたま42.195kmになってしまったというわけなんです。

 

私はてっきり、「42.195」という数字自体に何か意味があると思っていたのですが、全くの偶然だと知って驚きました^^;

 

 

ちなみに...

今では、イギリス王妃のわがままを由来とするのが一般的ですが、一説によると、スタート地点を中庭に変更したのは観客が参加選手の走行を邪魔しなようにするため。

そして、ゴール地点をイギリス王妃の前に変更したのは、オリンピックの主催者側が「さすがにゴールは王妃の前にしないとマズイよね...」と、気を使って変更したとも言われています。

 

どちらにせよ、こうして初めてフルマラソン距離が42.195kmになりました。

 

ただ、次の大会ではまた距離が変わり、再び42.195kmになったのは、1924年の第8回パリオリンピックの時です。

 

回次開催地距離
第1回(1896年)アテネ36.75km
第2回(1900年)パリ40.26km
第3回(1904年)セントルイス40km
第4回(1908年)ロンドン42.195km
第5回(1912年)ストックホルム40.2km
第6回(1916年)ベルリン第一次世界大戦により中止
第7回(1920年)アントワープ42.75km
第8回(1924年)パリ42.195km

 

この時は、偶然に42.195kmになったわけではなく、パリオリンピックの主催者が第4回ロンドンオリンピックの距離をそのまま採用しました。

そして、これ以降はずっと42.195kmで行われることになります。

 

 

では、なぜパリオリンピックの主催者は、過去6回の中でロンドンオリンピックの42.195kmという距離を採用したのでしょうか。その裏には「ドランドの悲劇」というお話があります。

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ドランドの悲劇とは

少し話を戻して、1908年・第4回ロンドンオリンピックのマラソン競技。

ゴールのシェファードブッシュ競技場に最初に入ってきたのは、「ドランド・ピエトリ」というイタリアの選手でした。

 

 

しかし、ドランド選手はあまりの疲労でのため、ゴール直前で倒れてしまいました。75,000人の観客が見守る中、係員の手を借りて立ち上がり、ドランド選手はなんとか走り続けます。

 

それから、さらに4回も倒れてしまいますが、係員の手を借りながらなんとか1位でゴールします。このとき、ラストの350mを走るのに10分もかかっていたんだとか。

 

しかし、2位でゴールしたアメリカ人選手が、ドランド選手が係員の手を借りたことに異議を申し立てます。この異議が通り、ドランド選手は失格となってしまいました。

これが、「ドランドの悲劇」です。

 

ですが、ドランド選手のラストの頑張りは会場にいた観客を大いに感動させました。そして、アレクサンドラ王妃から銀のカップを授与されることになります。

 

こうして、ドランド選手は世界的に有名人になり、このレースは後世に語り継がれることになります。そして、第8回のパリオリンピックでは、この素晴らしいレースを忘れないように、距離数を42.195kmにしたと言われています。

 

 

私は毎年お正月に箱根駅伝を見ているのですが、選手が倒れこむようにゴールするのを見るたびに胸が熱くなります。

きっと、ドランド選手の倒れながらもゴールする姿を見た人たちは、言葉にならないほどの感銘を受けたのではないかと思いました。

 

最後に

いかがでしたでしょうか。フルマラソンの距離の由来について解説してきました!

 

 

最後にもう一度要点をまとめますと、

 

もともとフルマラソンの距離は大会ごとにバラバラ。

初めて42.195kmが採用されたのは、1908年の第4回ロンドンオリンピック。

当初は41.843kmのはずだったが、イギリス王妃がスタート地点とゴール地点を変更させたことで、たまたま42.195kmになった。

この時、何度も倒れながらもゴールしたドランド選手の姿が人々に感動を与える。

そして、1924年の第8回パリオリンピックでは、ドランド選手の素晴らしいレースを忘れないようにと、距離を42.195kmに

それ以降、今日までフルマラソンの距離は42.195kmとなっている。

 

ということでしたね!

 

42.195という数字に、ものすごい意味が隠されているのかと思いましたが、イギリス王妃のわがままによる偶然の結果だった、というのは驚きですよね^^;

 

以上、最後まで読んでいただきありがとうございました!少しでもお役に立ちましたら幸いです。

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